
吉保八幡神社について
祭神 | 譽田別命(ほんだわけのみこと) ※第15代「応神天皇」の御別称 |
配祀 | 天穂日命・須佐之男命 |
創建 | 天長六年(西暦829年)※平安時代前期 |
旧別当 | 善能院 |
鎮座地 | 千葉県鴨川市仲253 |
当社は豊前国(現在の大分県)の宇佐八幡宮より御分霊(わけみたま)をお祀りしたのが始まりです。室町幕府の初代将軍の足利尊氏からも崇敬され、時代が下り戦国時代になるとこの地域を治めていた里見氏の家臣であった緒形加賀守茂次によって、手厚い庇護を受けました。
江戸時代中期の天明年間になると、氏子たちの力によって社殿が再建され、現在の本殿が当時のものです。本殿の彫刻は今の鴨川市打墨出身の初代伊八(通称「波の伊八」)によるもので、房州の各地に残る彼の作品の中でも特に良好な状態で保存されています。
例祭は春と秋の二度奉仕されます。特に九月二十八日(現在は九月の最終日曜)の秋の例祭には、神社の前の馬場において「流鏑馬神事」が行われ、的の当たり具合で翌年の稔りが占われます。(詳しくは「年中行事」のページへ)
氏子区域と人々
吉保八幡神社の氏子区域は仲・宮山・八丁・大川面の四区からなり、これらを合わせて「吉保郷」と言います。この地に住む人々は世代を越え、どのような困難な時代であっても、知恵や力を出し合い、神社を支えてきました。当社には文化財的価値のある様々な神宝類が保存されていますが、神社にとっての一番の神宝は「氏子」であり、それは未来永劫変わることはありません。
境内案内
本殿
流造の本殿は神池の島の中にあり、覆屋で囲われています。天明年間(1781~1789)の創建と伝えられ、江戸時代後期に活躍した彫工の「波の伊八」による彫刻が施されています。

神池・水分神
本殿の周りは池になっていてとても珍しい形状と言えます。水を司る神をお祀りし、今でも雨乞い神事が行われます。

御嶽神社碑
長狭地域は日照りの害に悩まされた地域でした。水の神を祀ると共に山の神を祀り、農耕に適した量の水に恵まれるようとの願いから御嶽神社の神を祀りました。

庚申塔
人の身体には三尸(さんし)という虫が住んでいて、庚申の夜にその虫が天に昇って、神にその人の悪行を告げることで寿命が縮むと信じられてきました。そこでその夜は庚申塔へお参りし、明け方まで皆で食事や酒を飲んで眠らずに過ごしました。当社では庚申の日には庚申祭を奉仕し、夜を明かせない方の為に身代わりとなる人形をお配りしています。

日清日露戦役記念碑
両戦役に勝利したことを記念し、吉尾村尚兵会という軍人組織が建立しました。氏子区域からは合計47名の方が出征し、内3名の方が戦死・戦病死されています。
尚、大東亜戦争までの戦死者は104名となっており、当社ではでは同記念碑の前で4月と10月の千葉県護国神社の例祭に合わせて、吉尾地区英霊慰霊顕彰祭を斎行致します。

御神木
とても大きい楠(くすのき)です。樹齢は100年以上と言われています。

神馬舎
流鏑馬で用いられる馬と繋いでおく厩舎です。かつては「馬揃い」と言ってたくさんの馬を集め、その中から流鏑馬で走るに相応しい馬を占いで決めていました。

山口志道碑
明和2(1765)年に現鴨川市寺門に生まれた国学者。仁孝天皇の侍講(天皇に学問をお教えする者)を努めた人物で、神道の言霊思想に大きな影響を与えたと言われています。

兼務神社
〜吉尾地区の神社〜
皇大神社
祭神:天照大御神
住所:千葉県鴨川市大幡412
大幡地区の鎮守として古くから信仰を集めています。大きく立派な神輿を有しています。

横山神社
祭神:大山祇神
住所:千葉県鴨川市横尾282-1
拝殿の見事な彫刻を見ることができます。また参道の木立はとても神秘的です。

八幡神社
祭神:誉田別命
住所:千葉県鴨川市松尾寺374
松尾寺というお寺に隣接する古いお宮です。境内には金毘羅宮も鎮座しています。

熊野神社
祭神:國常立命・伊弉諾命・伊弉冉命
住所:千葉県鴨川市細野836
細野地区の鎮守神。境内には5社の石宮があり、また枝宮として愛宕神社・天満宮があります。

宮山神社
祭神:息長多良志姫命
住所:千葉県鴨川市仲253
子安大神とも呼ばれ、安産の神として広く崇敬を集めてきました。

八雲神社
祭神:素佐之男命
住所:千葉県鴨川市仲966
八丁と呼ばれる山間部の鎮守神として地域を守護しています。

神明神社
祭神:天照大御神
住所:千葉県鴨川市大川面1
神明の松というご神木の跡地に村内の安全を願い創建された神社です。

〜主基地区の神社〜
加茂神社
祭神:別雷命・大山祇命・楯倉魂命・大山咋命
住所:千葉県鴨川市成川2470番地
成川地区の鎮守で、社殿の彫刻がとても美しいです。かつては例祭時に相撲の奉納がありました。
